読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

おとといまでの私にわからせるためのブログ

写真のことと、美術のこと、あと好きなことについて。私にわかるように書いてます

東京都現代美術館「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」

 
会田誠の作品が撤去される前に急がなきゃとおもって、土曜日のクソ混んでる美術館にいった。
「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」は東京都現代美術館の夏休みの子供向け企画展で、
ヨーガン・レールと会田家(会田誠岡田裕子、会田寅次郎)ら、4くみのアーティストが出展しています。
 
わたしが美術作品や展覧会の評価の軸のひとつとしているのは優しさです。not易しさ。
わたしにとっての優しさと易しさの違いはそれがコミュニケーションであること、相手を想定したものであるかの違いです。相手のために易しくすることは優しさだと思うし、易しくすること以外にも優しさのかたちはあると思うのです。
 
「ここはだれのばしょ?」は子供向けの企画展ということもあって、作品紹介の文章、その位置、そういう目に見える部分で優しさがありました。
でももちろん、というよりも、大人にこそ見て欲しいという意欲がひしひし伝わってくる展覧会でもありました。
 
「ー地球はだれのもの?」というコーナーを担当していたヨーガン・レールはデザイナーで、ドイツから沖縄県石垣島に移住して40年暮らし、昨年その地で亡くなりました。
彼の写真作品は、この展覧会においては特に、あの写真平面だけじゃなくてよかったなあと思います。
いまは現代アートなぞ勉強しているわたしですが写真を勉強しているときも、わたしは写真っていうものがよくわからなかった。
日常の、たとえば、車のライトとか、皿の上のフルーツとか、ガードレールのような、なにものでもない、見たことあるーみたいなものたちの写真に、なにを感じるべきかわからなかったのです。
 
この作品がもしタイトルと作者の名前だけで展示してあったとしても、この作品について大方の予想はついたかもしれないけど、この写真たちがどこで、どのように、どういう思いで撮られたのかわかることにはいまだにすごく救われます。ヨーガン・レールの写真と一緒に展示された彼のメッセージによって、わたしたちはあれらの写真が、憤りではなく、いつも自分が歩く海や自然がきれいであってほしい、素朴なきもちから生まれていることがわかる。
そして彼のあの作品群がすばらしいのは、教科書で読むような環境を大事にしましょうという一種もう勘弁してほしいような、文明社会への注意喚起が、自分が生活する海というスモールストーリーから出発しているからだとおもいます。それから、《浜辺のゴミで作ったランプ》、ほんとうにきれいだった。
 
いま、会田誠from会田家の作品が撤去されるか否かで、美術の世界は揺れているのかな。
このことはなんだかよくわからない、が率直な感想だし、《檄文》も《国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ》、どちらも最高に笑えるけれど、わたしたちの実情はかなり笑えなくなってきていることが感じられるような、とても重要な作品だと思うのです。
そもそもわたしは真面目を不真面目にやる、会田誠が大好きだし、彼は優しいと思っているから、彼に対しては基本肯定的なファンだけど。
さきほどTwitterでながれてきた会田誠の抗議文を読めば、この状況、ますますはてな日本を代表するキュレーターがいる東京都現代美術館という場で起きていることとはいまだに思えないのです。はてな。できれば壮大な自作自演であってほしいと思ってしまうくらいです。
 
 
でも、もしかするとこういうのが日本の美術の体質かもしれない?
諦めてるというか。
 
おかざき乾じろの作った「こどもにしか入ることのできない美術館」の前書きを読んでいて、はっとする大人は多いことでしょう。
現代美術を展示している美術館へいくと、かなりの高確率でけらけら笑いながら「わかんね」と言って足早に通り過ぎていく鑑賞者に出会います。彼らはわたしをどんどん追い抜いていく。彼らはとても早い。確かにそういうひとたちをはっとさせてブレーキをかけるようなメッセージでした。でもブレーキかけてもわからないこともあるよね。だから彼らは早いんじゃないか。
そういうひとたちを、諦めてはいけないって思うのです。(期待しすぎ?)ていうか普通に悲しいんだもん。彼らを取り込むような力が美術館というか美術にないことを反省的に考えなきゃいけないんじゃないか。
ピカソわかる?」と大人に聞けば「わからない」と答えるのはあたりまえです。
ピカソキュビスムのアーティストです」とは言えても、ピカソについてなにをわかっていればわかることになるかってだれも教えてくれなかったじゃないか。ていうかそもそもその「わかる?」の質問おかしくない?
 
あの早い人たちにも自由はあるから、急ぎ足も許されるのが美術館だけど、勝手に足が止まるようにはできないのか。もう少し優しくなってもいいんじゃないか。単に易しくするのではなくて、優しくする方法があるんじゃないかな。と。今日は思いました。ブレーキかけてみて、というのではなく、自然に徐行できるような。そういうこと考えていきたいなって思います。
そういえば、夏休みの子供向けの展示だからか、ベビーカーをとめて置く場所が用意されていたり、ちっちゃいこども(複数人)連れた子煩悩系パパ、はじめて美術館で見た。公園で見るみたいな風景。土曜日のクソ混んでる美術館よかったです。