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おとといまでの私にわからせるためのブログ

写真のことと、美術のこと、あと好きなことについて。私にわかるように書いてます

国立国際美術館 ウォルフガング・ティルマンス「Your Body is Yours」


西日本をめぐる家族旅行のなかで、ソロ活動。
はじめての国立国際美術館で、ウォルフガング・ティルマンスの個展を鑑賞。

以下、メモです。

国立国際美術館の、地下に展示空間が広がっている建築には、子供の時に蟻の巣とか蜂の巣の内部構造に憧れた、あの感じを思い出して、すごくわくわくしました。

ティルマンスは、学部のときから授業でもちょいちょい扱われていて、何度も作品を目にしてきた大御所・写真家・アーティスト。
ファッション写真の世界から、ファイン・アートの世界に転身した、のかと思ってたけど、どうやら違うみたい。(BT BOOKS Wolfgang Tilmansによる)

正直言うと、ティルマンスに関する印象としてはいけてるなーとかおしゃれっぽーいくらいのもので、
なにがそんなに新しく、なにを見るべきなのかがわからなかった。
わたしが写真を勉強し始めたときには、日常の美しさ、とかがモチーフになっているような写真はごまんとあった(日本だとガーリーフォトとか、佐内とかみたいな)し、
わたしやわたしのまわりで写真の勉強をするひとたちは、みんなそれが写真の姿だと思っていた気がする。
同じ若者系写真だと、マッギンリー(わたしはマッギン"リー"派)がいるけど、
彼ほど見た目に美しさ、Youthな輝き!みたいなものもかんじなかったし
ラリー・クラークほど痛くもなければ、ナン・ゴールディンほどアウトローな感じがしなくて、
なにを特徴付けられたひとなのかわたしにはこれまでいまいちわからなかった。
ティルマンスが写真や美術の歴史のなかで、どんな転換を起こしたか、というのも実感として感じられないし、何年もあとに出てきた、実際にはティルマンスの後追い、みたいなことをしている写真家たちの作品とほぼ等価に彼の作品を見ていたのかなと思う。

でも、その特徴付けられなさ、が彼のユースカルチャーの始祖たる部分でもあり、特徴付けられる部分なのかもしれない。

そもそもティルマンスに限らず、写真というものは、「この画像からなにを感じればいいかわからない」っていうある意味ものすごく冷徹で、排他的だ。そういう部分がちょっと苦手でもあったことを、再認識しつつ、美術館へいきました。

ティルマンスの写真は日常の驚くべき美しさの発見みたいに言われることが多いけど、
「Freischwimmer」や、「Silver」などの暗室遊びから生まれたみたいな抽象的な作品と、
窓際に置かれたフルーツとかの静物の作品に対して、
わたしは、
すべて、おなじように、
「なにを感じればいいかわからない」という印象を持っていました。

ただ、今回一挙にたくさんのティルマンスの作品を
あの、有名な展示方法で並んだあの作品を見て、
わたしの感じてきたこともそんなに間違いじゃなかったのかなと思った。
すべて、おなじよう、なところ。

個々の写真それ単体による力はそこまで強くないほうだと思う。
性器とか、ゲイ的なイメージにはやっぱりなぜにか目がいってしまったり、ギョッとしてしまうところがあるけど、そういうところも素朴に撮られてるから、彼にとっては日常的なのだろうし、静物なんかはわたしたちからしてもかなり日常から延長している(つながっている)感じがする。

ソルジャーズと、机に集められたドキュメントと写真からなる作品については、
ものあつめ、キュレーションによる”つらなり”の表現だな、と。
彼自身のなかではもちろん”つらなり”っていう言葉ではないとおもうのだけど、明らかにキーワードのひとつだと感じます。

ショッピングセンターの写真や、初期のコピー機の作品、
暗室遊びの作品は、「写る/映る」ということを純粋におもしろいと思って作っているという印象。
paper dropのシリーズもそう。
そして、「うつる」ことの面白さ。

つながる、うつる、っていう状態は個々のものが単体であることを、その膜、体面を保ちつつ、
混ざり合うことなくある状況で、
それは彼の展示の方法にもあらわれていて、フレームにいれないことによるつながり、
作品のサイズをそれぞれ異なる設定にして、壁をスクリーンに見立てて散らせるのも、
キュレート的。

つながり、つらなり、うつる、っていうのがティルマンスの特有のものかもしれない。

それはぜんぶ、接続したり、反射したりする、媒体が必要で、
単体ではなりたたないこと。
かつ、単体が拡張するのでも、融解するのでもなく、対象との関係性が写真や写真の周辺に見られる表現だと思います。
クールな写真に対する真摯な意味づけというか。

この展覧会では写真の周辺と結びつけてわかってくることが多かったから、
ティルマンスの作品は本で見るよりも、展覧会で見た方が、フックが増えるという意味で優しい。

写真の展覧会ってそういうフックとかほぼゼロなことが多いから、
やっぱり(現代)アートと写真は明確に別のもの。
そしてティルマンスは写真というメディアを使った前者なんだと思いました。