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おとといまでの私にわからせるためのブログ

写真のことと、美術のこと、あと好きなことについて私にわかるように書いてます

原美術館「そこにある、時間 ドイツ銀行コレクションの現代写真」


土曜の午前中から活動して美術館にいくってのはいいねー。
そして土曜なのに静かな原美術館さいこう。原美術館さいこう。

2006年にも同じくドイツ銀行の写真コレクションの展覧会があったみたいだけど、もちろん行ってないので、ドイツ銀行の存在って尊さを知りました。
世界の現代写真の重要作家が一望できるだけじゃなくって
現代美術の重要な一端だとおもうし、なにより好きな作品が多かったです。

この展覧会が規定する現代写真の始祖はおそらくベッヒャー。
ドイツっていうのもあって、ベッヒャーシューレの作家が多かったようにも思うし、
現代写真の領域では確かにベッヒャーシューレの影響と存在が大きいのですね。
(もろにベッヒャーをサンプリングっていうのもあったしね。あの作家は知らなかった。)

ヤナギミワと森村って、なんかこうこれまで好きになれなかったんだけど、
彼、彼女が日本の現代写真なのだっていうのは、あまり考えたことなかったけどそうだよね。

も世界で人気の日本の写真といえば、アラーキーとか森山大道とか、イッコーとか?
あの辺なんだとおもうのだけど、海外での日本人の写真家の再評価は
オリエンタリズムでしかないのかなと、感じた。

そういうところを超えた部分で評価されたのが、
杉本大先生であり、ヤナギミワであり森村であるのかもしれない。

(だから、現代美術の領域でなぜか(再?)評価が高まりつつある日本の写真家(アレブレボケ、私写真とか)は日本の現代写真ではなく、それは、日本の写真が現代に評価されてるってだけで、
あれを今からやろうとするのはオリエンタリズムの視線に無自覚な気がするなー。
(もはや)古典的、クラシックな写真の逆輸入による再評価。)

この展覧会では作品解説の紙に作家ごとに丁寧なキャプションがついていた。
キャプションなしに写真がなにを語ることができるのかは、考えなくっちゃいけないな。
写真、このメディアにできることの広範かつ多様性を提示しているようだけど、
キャプションが語ってくれることによって作品の面白さ、アハ感覚的な(古)のは増す。

ただ、今回展示されていた作品はけっこう、
写真そのものそれ一枚見ただけで、写真の裏書とか、レシピというかポイントというか、
料理でいえば素材が、わかりやすい作品が多かった。

佐藤時弘の作品みたいに、目で見てああきれいだな、目が嬉しいっていう作品だけじゃなくて、
ポルケみたいに、タイトルによって「なるほどなあ」ってなるのもあって、
割と少なめの情報でもシンプルに楽しめる現代写真が多いような、そういうキュレーションだったかもしれない。
丁寧な作品解説もあるけど、それをじっと読まなくてもかなり楽しめる、親切設計。
気兼ねなく観れてよかったです。