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おとといまでの私にわからせるためのブログ

写真のことと、美術のこと、あと好きなことについて私にわかるように書いてます

Instagram ー服に代わるファッションー

と、ふと思いついたので、書いてみます。

ネットができたことによって、ネット上で仲間を集めることができるようになったから、思想を表現するために、パンク、とかヒッピーとか、そういうファッションをする必要がなくなった。っていう考えが、ファッションに強烈なムーブメントが起こらなくなった理由のひとつというのは理解できるけど、わたしは、最近の、特に女の子のファッション観の変化はそういうところでは語れないと思うのです。

(1995年にネットが生まれて今年で20歳になるわけだし、その考え方ってすでに古いような気もする。)


というかそもそも、パンクとか、ヒッピーとか、ロックとかのファッションは、中には女の子もいたけど、結局男性同士が共闘するためのマッチョなツールだったんじゃないでしょうか。

(センター街にいたヤマンバギャルとかは日本でも唯一の共闘のファッションかもしれない)

そう思うと、ファッション史は、やっぱりライトな思想史です。


でも、ずっと、女性にとってのファッションは共闘のためのものではなかったはず。

そういうエッセンスをファッションにぱらぱらーっとふりかけて純粋に(搾取されつつ)楽しむファッションはあったけれども、

いまでも、女子が着飾るのは自分(一個人)を欲求の対象にしてもらうこと、いわば目的化してもらうための行為、というところはまだ変わらない。

スポンジケーキだけでもおいしいけど、クリームつけたほうがもっとおいしい!みたいに、

女の子ってだけで求められるけど、着飾ったほうがなおよし。という考え方。


でも最近は、ファッションが着飾る、嘘っぽいもの、はりぼてっぽいものだっていうのが、着ている方にも、それを選ぶ男性にも意識されるようになったんじゃないでしょうか。

それはファッションのトレンドのなかでアンチ・ファッション的なノームコアが流行ったりするところにも明らかだし、「スタンダード」という言葉もよく目にします。

ファッションは不自然にも自然体を”作り始めた”のです。


着飾ること、着飾るひとっていうのにはどうしてもハリボテ感・コスプレ感が拭えない。

そういうびんぼっちゃまくん 的なファッションってかっこ悪いんじゃないか。

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そこで、「私は着飾っているんじゃなくって、もとからこういう私です!」をそれとなく、それとなく主張できるのがInstagramをはじめとしたSNSなのです。

びんぼっちゃまくんのようなはりぼてではなく、全裸で勝負してます!とでも言うように。(例えです。)


見ている方も、発信する方も自分が主張している、ファッションしている、っていうのには自覚的じゃないかもしれないけど、その点では少し前までの服となんにも変わらない。

だからわたしはInstagramが、これまで服が担っていたファッション、もしくはそれ以上のものを担っているんじゃないかと思うのです。


お洋服屋さんで服以外の、本とか家具とか雑貨とかアートとか、コーヒーとか植物とかを売るライフスタイル提案型ショップもかなり増えてきてますよね。

Instagramはそういうショップの提案したい”ライフスタイル”とかなり深い相関関係にありそうな気もします。


最近は”量産化女子大生”という言葉もあるくらいで、

シーズンの変わり目にはユニクロH&Mからハイブランドまで似たようなデザインが並びます。

最近のギャル誌の立てつづけの廃刊を見るとギャルが減少傾向にあるのは明白です。

派手なもの、浮くこと、を避けるのが、服=ファッションの役割になってきているようにも思えちゃう。


ではどこで差別化して、どこに価値を見出してもらうか。

今、それを担っていくのがInstagramなのです。


「代官山蔦屋でお茶〜」もしくはハッシュタグのひとつで、そのひとがカルチャーにも興味のある人間であり、代官山での買い物を楽しめるような(経済的にも)女性であることがわかるし、

「〇〇(人の名前)と♡」だけで、「わたしはこの子と仲がよくて、こういうことをして遊びます」とかかなり奥行きのある情報が伝わるので、自分のマウンティングorカースト設定もかんたん。


ファッション(だったもの)は、服だけで達成されるものでなくなっているのです。


わたしは写真を勉強しているので、こういう写真が新しく担った役割を大変興味深く思うし、

リチャード・プリンスがInstagramの巨大作品を作ったみたいに、いまこの瞬間にも想像を絶する数の写真がSNS上に増えていくのだと思うと実際にその写真ソースは超・巨大。

しかも、それらの写真が表層的なファッションだけじゃなくて奥行きのあるファッションとして個人を飾り立て、立体的に作りだすとき、”写真”はますます巨大になっているような気がします。


ファッションの変化は、男性の女性化、女性の男性化っていう服装のジェンダーレス化の動向もすごく面白いけど、わたしはもはやファッションが服じゃなくなっていくところが面白いなと思います。


とか言いつつお洋服大好きだけど。

ことしはBarbourのinternational jacketが欲しかったけど、お金なさそう。。


服で着飾ることができないので、Instagramで自分作るしかないかな!

シャンプーのコマーシャルでの「かわいいは、作れる!」ってなんか批評的?にも聞こえてきちゃうね!


アート以外のこともこうしてたまには書いてみようかな。では。