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おとといまでの私にわからせるためのブログ

写真のことと、美術のこと、あと好きなことについて私にわかるように書いてます

東京都現代美術館「見えない都市を見せる "TOKYO"」展

 

東京都現代美術館ではじまった東京アートミーティングⅣ「見えない都市を見せる"TOKYO"」展へいってきました。


ちかごろ、日本人が日本を賞賛する外国人を見たがっている、とか、日本のこんなところが世界に認められている、とか、日本人はゴミ拾いをして素晴らしいとか、「YOUは何しに日本に?」(だっけ?)というテレビ番組とか、最近だとFacebookでのハロウィンのあとのボランティアの記事に見る「日本人が見たい日本のすがた」という盛大なオナニー

VS

日本は未だになにもかも猿真似で、政治も文化も未成熟で、ながーい不況で見通しも明るくないし、近隣のアジア諸国に負けている、とか、同じハロウィンを例に出すならあのお祭り騒ぎの渋谷の様子を揶揄・批判するような、なんか怒りっぽい自戒的な態度、

という対立をよく見るなあと思うのですが、

今回の展覧会はほぼ前者の態度で、そのオナニーっぷりが良質な?サブカルチャーによってやや緩和されている、という印象でした。

「"TOKYO"」を冠した展覧会らしく、2020年のオリンピックに向かって、80年代以降の誇れるor誇っても良い、世界に出しても恥ずかしくないTOKYOを自分たちのために再確認する作業のような鑑賞体験でした。

「オリジナルで洗練された」サブカルチャーをもつ東京の可視化という、良い東京を見たいという欲求が働いているような気がしちゃいましたが、実際東京の「オリジナリティ」ってどうなんでしょうか。そもそもある?

私は、日本人の世界での活躍など、本当に誇らしいことと思っているし、伝統工芸や和食とか、漫画とか、テクノポップなどが世界に認められるということ、単純に嬉しいです。国民性というものがあるのであれば、わたしは日本人の国民性の一部分にはとてもよいものがあると思っています。

一方で、現在の日本の政治が世界にどう見られているかはすごく気になる。ただ、隣の国や、隣の隣の国を批判してしまうような、アジア内エリート意識というのは注意しないといけないかなと思ったりもしています。


だから、今回の展覧会を見て、安心し、見たいTOKYOを見ることができた、というような気もするのですが、いまのTOKYOが可視化されたものがこんなに心休まるものでいいんでしょうか?

 

例えば、YMOはいつまでたっても本当にイケてますが(展示室では大興奮でした)、それは、YMOのルーツに、日本人としての劣等感、TOKYOとはなんなのか、という自問があって、その回答としてのTOKYOのイメージが新しくてかっこよかった!(昇華された?)ということで、決してTOKYOイケてるんだぜ〜〜〜!ブイブイブイ!っていう、先ほどの対立でいう前者のような感覚ではなかったのではないでしょうか。

イケてないものを作るべき言ってるんじゃなくてYMOがイケてるのとかスーパー当たり前に共通認識だし、もちろん彼らの音楽は大好きです。

でも彼らが今になってこのような形で展示されたのを見て、そういうTOKYOのオリジナリティへの問いが吹っ飛ばされた、なんのヒントも反省もなしにピュアに創造されたTOKYOの純粋イメージ!のように見せられている気がしました。

80年代、当時、世界を席巻していたKraft workの音楽を受けて、テクノを日本でやるなら軽薄で病的な要素を加えたテクノポップであると、そういうヒップホップ的感性が働いたところにわたしは強く惹かれるのですが、純粋培養のトーキョーサブカルチャーなるものとしてYMOが見せられているような気がしてしまいました。外に対する劣等感なしで、自信満々マンすぎないか、という。もちろんいけてるんですけど、自信満々でも問題ないほど大好きですけど。

 東京賛歌としての《Technopolis》なんてちょっと恐ろしいですしね。


展覧会全体を通じてそうした、急にぽこっと生まれたかのような日本独自・東京独自であるこという強調、あるいは外来的な文化の"受容"という視点がぬぐい取られているというような印象をうけました。

もし 2020年のオリンピックでテクノポップがフィーチャーされたら嬉しいけど、東京というアジアのエリート意識と、欧米の劣等生の意識がまぜこぜになった場所であるっていうことは、TOKYOのイメージ形成にとって重要に思えます。

  一方、今展で、最高に濃い味、写真家蜷川実花の展示室こそ、もしかしてピュアトーキョーのイメージなのかもしれません。

被写体になった人たちは「際限ない承認欲求とそれを制する自分自身の理性とがせめぎ合うところで戦っている」という意味で「ギリギリの人たち」なのだそうです。

ギャル男?とか、アニメの登場人物になっているひと?(レイヤー?)とか、ジェンダーレス男子とかインスタアイドルとか様々いましたが、彼らに関しては正直今更感もあるくらいで、もう新しくないから、彼ら自身の存在を表に出すってだけではちょっと足りないというか。展示においてももっと深い考察がなされる存在だとも思うので、こういうところにこの展覧会の「再確認」っぽさがある気がします。


最近の、性別の境が男女相互に向かい合って浸食していってる感じはとても面白いし、そしてそのフォーマットとしてのインスタグラム。その氾濫は自己承認欲求以外にも語り口がいくらでもありそうです。

 

林科という中国のアーティストの作品も、とてもおもしろかったのですが、彼の作品をあの場で見ると、どうも日本に好意的な目線を感じたい、日本に関心があると思われたい、中国の人に嫌われたくない。。。。。ねえ好き?好き?好きって言って!!!!的な感性を満たすものとして機能しやしないかと不安になってしまいます。。

 

と、ここまでちょっと辛辣な感じできましたが、ジェレミー・ショウの作品は最高でした。 

最高!!!!!!!!でした。大好き!!

これまでの芸術体験のなかでもTOP5に入るくらいの作品だったと思います。あんな幸せなことはない。こんなふうに思えて幸せです。

 

ジェレミー・ショウの作品を見るだけでも、いや、ホンマタカシのもろい儚いTOKYO、目(め)のワームホールTOKYO、そしてYMO+宮沢章夫蜷川実花などなどなどなど、大変エキサイティングな展覧会ですのでおすすめです。

蜷川実花の被写体になった彼らの抱える自己承認欲求と同じように、わたしたちの国民レベルの承認欲求を満たしてくれる展覧会ともいえるでしょう。

まさにわたしたちの見たいTOKYOを見せてくれる、と言えます。



来年2月14日までだそうです。

www.mot-art-museum.jp

ぜひです。

 

あと、今回けっこう押し出されていた80sムードみたいなのを見ていて思ったのですが70’sなヒッピー的なデニムのブーム、90’sのストリートとかヒップホップ(ファッション)のブームも終わってもうすぐ80’sブームがくる、そんな感じはすごくしました。

ネオW浅野とかネオ聖子みたいなのこないかなー!わかんないけど。

 

あと、80'sコピーライター文化、商品そのものよりもその商品が内包する情報を売る時代、その空気もふたたび加速しているような。。。むしろすでにそう?

 

でも、2020年には、80'sムーブメントきてるんじゃないかな!そうなっているでしょう!たぶんね。

 

長くなりました!

では!