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おとといまでの私にわからせるためのブログ

写真のことと、美術のこと、あと好きなことについて。私にわかるように書いてます

旅先の美術館についてー金沢・21世紀美術館にいっておもったことー

 
金沢21世紀美術館にはこれまで2回足を運んでいます。
 
一回目は、「内臓感覚」っていう展覧会をやっていたときで、(2013年)
二回目は「ポスト工業化時代の芸術 われらの時代」という展覧会の会期中。(2015年6月)
 
どちらもだいぶ前ですけど。。。

あのSANAAが作った美しい建築とか、恒久展示のタレル、アニッシュカプーア、レアンドロ・エルリッヒは最高に大好きだし、あそこにあるべき素晴らしい作品だと思います。

でも、たまたま見た2回の展示が偶然そうだったのかわからないけど、どちらの展覧会も私にとってこうあって欲しくない、絶対避けて欲しい(現代)美術のすがたでした。心底悲しくなりました。
 
 
「内臓感覚」展は、わたしにとって芸術の傲慢を気づかせてくれた点ではとてもいい経験だったと思っているけど、悲しい鑑賞体験第1位。
思い出すと泣きそうになってくるほどの、暴力的なイメージの連続。
 
思い出してこんなん書いてます⤵︎(これも1年以上前)

 

 
「われらの時代(2015年)」展も、そこまでではなかったものの、鑑賞者に優しくない展示だと強く感じました。
 
とにかくどちらの展覧会でも、わたしは他のお客さんの早さとか、困り顔とかがどうも気になってしまった。
 
 
たぶん、あの美術館に来ていた人たちは、新幹線が開通した金沢に遊びに来て、観光スポットのひとつとして何気なく21世紀美術館に足を運んだのだと思うのです。
(それと金沢は見るところがたくさんあるわけじゃない)
 
それは、美術にとってすごいことで、ふだん自分が住んでいる都市、市町村の美術館やギャラリーには足を運ばない、美術には特段興味がないひとたちが、旅行だったら現代美術の美術館に旅行だから、というだけで気軽に足を運んでくれるわけです。
 
現代美術が小難しく、敷居が高く思われて、かつ一周まわって”現代アートw的”に揶揄の対象になっているなかで、普段美術を見ない人が見てくれる、来てくれる場所や機会はとても大切で尊いと思います。
 
東京や大阪などの都会にある美術館よりも、地方の観光地の美術館のほうが、ふだん美術鑑賞をしないお客さんが多いと思う。
 だから、観光地にある美術館にはそういう、役割が、責任があるはず。
 
 
21世紀美術館のあの会場の特性上、各展示室にひとりずつ作家を配置するあの贅沢な空間の使い方は、作家にとっては嬉しいかもしれませんが、各々の作品が独立しすぎて、展覧会を一貫したテーマで見られなくて、
ただでさえ"難解"な現代美術を最も不親切なかたちで見せられているように感じました。
(その一貫性のなさがわれらの時代である、ということととるべきなのかもしれない..?)
 
解説は壁にはってあるのではなくて、ラミネートされたA4サイズのレジュメが何枚か置かれていました。文章はA4にみっちりぎっしり書かれています。
解説を手に持って自由に展示室を動き回れることが目的ならよい仕掛けかもしれませんが、実際、わたし以外の鑑賞客のひとたちはとても早い。立ち止まらず、作品をろくに見もせず、もちろん解説を手に取ることもありませんでした。(「われらの時代」展)
 
それでも、たまには解説を手に取るひともいるでしょう。
しかし、その文章は、こんなかんじ。
こうした流れを前提にすれば、金氏徹平による作品は、脱物質性の後に現れたコンセプチュアル・アートのカウンターというより、ダイレクトに正統キュビズムにまで遡る長い歴史の流れに接続点がある。(「リアルの手触り」黒澤浩美「われらの時代」展カタログより)
たぶん、 はてなワールド
一般の、美術史の勉強等をしていないひとにはちょっとむずかしいか、さっぱり、、なのではないでしょうか。
 
 
 
これでは、そもそも美術に興味のない人との、
現代美術との出会いあるいは再会、いずれにしても、最悪の接触です。
 
「そもそも苦手/よくわからない」人たちに
「やっぱり苦手/ぜんぜんわからなかった」と、そんな感情を抱かせてしまったら、そのひとたちが「美術きらい」と思ってしまったら
他の地方都市、都内とか、住んでいるところの美術館に行く機会も奪うかもしれない。

 
旅先の美術館には、責任があるのです。
 
美術間口をひろげること、美術全体の門となっている自覚も絶対に必要です。
 
 
21世紀美術館はキュレーションのディレクターが長谷川祐子さんから変わられて、展示もちょっと変わった、などと言われているようですが、
SANAAのあの建築のテーマ「開けた美術館」を、建物だけではなく、企画からも実現して欲しいと本当に思います。
それは、絶対に日本の美術全体のためになると思うからです。

(かといって、木梨憲武の展覧会やるべきとは思わないし、迎合すべき!とは思っていないのですが。。。)
 
 
最近、こんなことを、以前よりも強く思っています⤵︎


美術のための美術だけになってしまったら、沈黙してるのとあんまり変わらない気がしちゃうので。。

どうしていくべきか、わたしもかんがえます!

ではまた!!