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おとといまでの私にわからせるためのブログ

写真のことと、美術のこと、あと好きなことについて私にわかるように書いてます

アールデコ建築でスピる?- ボルたんの「アニミタス – さざめく亡霊たち」展

 

東京都庭園美術館で、クリスチャン・ボルタンスキーの展覧会「アニミタス – さざめく亡霊たち」を見てきました。

 

www.teien-art-museum.ne.jp

 

ボルタンスキーといえば、もう現代美術の世界ではスーーパーー巨匠クラスで、日本でもいくつかの恒久展示があるし、とても見ごたえのあるアーティストだと思っています。

彼はホロコーストに影響を受けて死や亡霊をテーマに作品を作っていて、無名の人の写真・古着、そして音や風などを、作品を作るときの道具にしています。写真も古着も、人の生きたこと・死ぬことを思わせるとても強いアイテムですし、音や風はその演出に大変な効果があると思います。

 

わたしは、豊島の心臓音のアーカイブでとても感動したし、大掛かりな舞台セットのような作品(越後妻有の《最後の教室》など)は、現代美術をあまり見たことがない人にも、インパクトのある「現代美術のよい思い出」にできるような体験を提供してくれるアーティストだと思っています。

 

f:id:yzgz:20161108193513j:plain

 

そして、今回の「アニミタス – さざめく亡霊たち」展は、素敵なアールデコ建物である目黒の東京都庭園美術館で開催されるとのことで、美術館の場とかその場の記憶みたいなものに、寄り添ったよ、という体裁をとっています。

(ちょっとボルタンスキー長いので、ボルたん、と呼びます。)

 

体裁をとっている、と申しましたように、わたしは今回の展覧会、正直あんまり満足のいくものではありませんでした。

 

展覧会全体を通して印象的だったのは、ボルたんのインタビューです。

原文ままではないですが、ボルたん曰く、

「実際に見るより、その作品のことやその作品が存在していることを知っていることの方が意味がある」とのこと。

 

これは、インタビューの中で、展覧会のタイトルになっている作品《アニミタス》についてボルたんが語っていたことです。

 

f:id:yzgz:20161108193603j:plain(《アニミタス》)

 

《アニミタス》は、チリのアカタマ砂漠に、ボルたんが生まれた日の星と同じように配置された日本製の風鈴が風に鳴る様子を撮影した映像作品です。

アカタマ砂漠は、地球上で最も乾燥している高地で、そのために、すごく星が良く見える場所なのだそう。

だけど、その標高2000mの土地に、人が頻繁に訪れることはなく、その作品は、ほとんど映像でしか見ることができない。

 

ボルたんがその《アニミタス》という作品について「実際見ることよりも知ってることに意味がある」と語ったことは、今回の「アニミタス」展全体について語るときにも当然通じるところだと思いました。

ただ、今回の「アニミタス」展について言うならば、「実際にこの展覧会を見るよりも、ボルタンスキーの他の仕事を知っていてようやく意味がある」と言いたくなるような感じ。

 

例えば《帰郷》という作品。

《眼差し》という作品の中にあるのですが、急に会田誠の作品(↓)が出てきたのかと思いました、、、、実は金色のエマージェンシーブランケットで古着の山を包んだもの、だそうです。

 

f:id:yzgz:20161108194139j:plain (会田誠《おにぎり仮面》これにそっくりの作品があるのです)

 

先ほども書いたように、ボルたんといえば、古着はおなじみです。

人の気配と同時に不在を強く感じさせることのできる古着を使った作品は、本当に強烈なインパクトで、心がざわつきます。

 

f:id:yzgz:20161108193922j:plain(越後妻有《No Man's Land》わたしはハウスダストアレルギーなのでこれはめっちゃ鼻水出そう)

 

しかし、今回は古着の山がエマージェンシーブランケットで完全に覆われています。

この作品は、ボルたんの古着の作品について知っていてこそ、その意味が際立つ作品だと思う。もちろん美術に少し関心のあるひとなら知っていると思います。でも本来、ボルたんの作品で古着が想起する生死の気配を拭ってしまってはいないでしょうか。。。ここでボルたんの作品をはじめてみる人には通じないんじゃないか?そういう人は観客として想定されていないの?

うんこ、うんこ、って部屋のいろんなところから聞こえてきたしさ。。。

 

おびただしい数の古着を見た時にはホロコーストや、日本人だと毎年起こっている災害のことを想起しますが、それを、1枚(に見える)エマージェンシーブランケットで覆ってしまったときに、ひとりひとりの命や精神の重要性が際立ってくるとは私にはどうも思えない。

作品解説には 

この作品が初めて発表されたメキシコの都市モンテレイは外国資本が多く入る有数の裕福な都市ですが殺人事件が多発する最も危険な街でもあります。その姿は唯一無二の存在感を放ち、富をもたらすと同時に災いの元にもなり得る“黄金の山”の表裏を思い起こさせます。一方で、持ち主不明の大量の衣服の山にエマージェンシーブランケットで覆う行為に、一人ひとりの生死を残酷なまでに等しく見つめるボルタンスキーの一貫した眼差しも感じられます。(一部抜粋)

 と、ありますが、、、、

 重症の患者にかけるブランケット、メキシコの危険な都市、黄金、古着、無名の多くの人の生死。。。とりあえず全部詰め込んではあるけど、どうもクリアにつながってきません。。。(やっぱりわたし鈍感なのかな)

 

その《帰郷》のまわりにあった《眼差し》という作品も、なんだか、写真の持つ生と死の感覚みたいなものをうまく反映できているようには思えませんでした。

 

写真を材料として使う場合には、写真の「真実」という要素や「証明」という社会的役割だとか、いろんな引き出しがあります。

ボルたんは、ずっと人物の写真を使用しているので、写真が想起させる「被写体が確実にこの世に存在していたこと、そしていまはもういないかもしれないこと」という「人間の生死」の気配が、彼の写真についての関心事だったのでしょう。

 

この《眼差し》では、証明写真の目の部分だけが拡大されて軽い布にプリントされていて風にふわーっと揺らぐのですが、この写真の使い方にはちょっとフィクショナルでエンターテインメントっぽい「亡霊」っぽさを感じてしまいました。

あるいは。ホラー映画で幽霊出てくるときってなんかいつも風吹いてるよね!!!みたいなテンション・・・?

 

f:id:yzgz:20161108194429j:plain(《眼差し》とわたし)

 

(カルチャー系シティーボーイアンドガールのフォトスポットとしては、インスタ映え間違いなしです。)

(平日は写真撮影ができるので、空いてるし、おすすめ!)

 

それよりなにより納得がいかなかったのは、《さざめく亡霊たち》でしょうか。

今回のこのあんまり気に入らないっていうテンションはそもそも、この↓インタビューを読んでいて、美術館に行く前からボルたんなんかスピってねえ?と思ってた、というのもあります。

旧朝香宮邸で「亡霊」たちの声に耳を傾ける 東京都庭園美術館でボルタンスキーの展覧会

「旧朝香宮邸を訪れて、昔のパーティーで人々が踊っているのを感じました」、、、!?!?)

角度をしぼったスピーカーからの音声で、耳元でささやかれているように聞こえる《さざめく亡霊たち》は、ちょっとボルたん様、お名前の看板に頼りすぎてませんか?という気がしました。

 

彼なりに美術館の記憶、そこで暮らした人(の亡霊)に寄り添ったり、対話したりしてできた作品かもしれないけど、関口涼子さんによる「さざめき」のセリフもなんだか肝試し風だし。

あの耳元でささやかれているような感覚と、美しいアールデコ建築だけでは、解説のように「歴史とは「事実」の連なりではなく、もっと複雑で重層的なものだということを思い起こさせ」てはくれないんじゃないかなあ。。。

でも、あの指向性スピーカーは不思議体験。びっくりできて楽しいかもしれません。。。。

 

と、まとまりませんがこんなところで今日はおしまい。

ボルたん自身もインタビューで「ほとんど子供じみた遊びです」と語っていた《影の劇場》でおわかれしましょう。

 

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なんかこの言葉、展覧会そのものに当てはまっちゃってんじゃないだろうか・・・と不安になりますが・・・・。

今回の展覧会はさておき、ボルタンスキーは現代アートの大巨匠ですし、素敵なアールデコ建築で作品を見ることができるのは寒空のデートにぴったりではないでしょうか!

最後のインタビューまで見るとより楽しめると思いますので、インタビューはじっくり時間をとって見るのがおすすめです。

とても楽しめたという人がいればオススメポイントを教えてください!

12月25日まで。ぜひです!

 

わー修論かかなきゃ〜〜〜(泣)

 ではまた!