おとといまでの私にわからせるためのブログ

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安全圏から飛び出せ! - ドクメンタ14 in Kassel レポート 

ご無沙汰しております!

ドイツはカッセル、ドクメンタに行ってきました。

 

で、ど、ドクメンタなんぞや・・・といいますと、5年に1度ドイツのカッセルで開催される国際的なコンテンポラリー・アートの大きなお祭りです。 

documenta 14 

 

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さて、最近の日本は残念なことに

「はー、ナンキンダイギャクサツー?ジューグンイアンプー?そんなことありましたっけ?ないっすよね!えーと、ないっす!」

みたいな歴史修正主義的なムードがわずかに漂いつつありますが、

 

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ドイツはそんな私達の国とは対象的に、歴史を見つめて学ぶことが浸透しているといえます。(少なくとも日本よりは。)

そんなドイツで開催されるドクメンタは、ドイツやカッセル、そしてドクメンタ自体の歴史に深く根ざしているアートのお祭り。

 

第1回(1955年)のドクメンタは、ヒトラー率いるナチスがドイツを牛耳っていた時代に「これは劣悪でドイツらしくない芸術だ!」と見せしめのためにひらいた「退廃芸術」展で「退廃芸術」の烙印を押され、その後迫害されたアーティストたちをドイツとして評価し直すというきっかけで始まり、今年は14回目。

 

このような歴史に根ざしたドクメンタは、今回ももちろん「政治」に深く関わる芸術祭であって、それが他の芸術祭との大きな違いであり、ドクメンタのキャラクターです。

 「政治」を見つめ、考え、意思を表示する場所として「アート」を示す態度こそが、ドクメンタを世界の最も重要なアートのお祭りのひとつにしているのだと思います。

 

今回ドクメンタ14のテーマは「Learning from Athens」つまり、「アテネから学ぶ」です。(このテーマによって今回はカッセルだけでなくアテネでも開催されました。)

アテネは、言わずと知れたギリシャの首都。

わたしたちの世代だと、アテネオリンピックの印象がありますよね。

 

f:id:yzgz:20170911015310j:plain 超、気持ちいい!の時。

 

ギリシャは、あのアテネでのオリンピックに抱えた負債やちょろまかしがじわじわと国を追い詰め、2009年以降、国家の財政破綻債務不履行(お金かえせませーん!)などなど、ドイツを含むEU近隣国を巻き込んで危機的状況に陥っています。

また、アテネといえば、人類史上はじめて民主的な国家ができた場所。

さらに、いままさに、シリアやアフガニスタンからの難民が押し寄せていて、大規模な難民キャンプが作られている場所でもあります。

 

加えて、繰り返し申し上げているように、ドクメンタの開催国は歴史や文脈を大切にするドイツですから、ドクメンタの開催地カッセル(ドイツ)の政治にも無関係ではいられません。残念ながら民主主義によって生み出されたナチス・ドイツへの反省、難民の受け入れを巡る意見の対立などなど、、、、

 こうした歴史やテーマに関わるトピックがさまざまにリンクしたり(しなかったり)するのが今回のドクメンタです。

 

しっかしこのドクメンタ14、 手厚いキャプションがすべての作品についてるわけでもないし、なにが問われているのかわからない作品もあったし、もの派的なものからキネティック?な幾何学模様の絵画やドローイングなどもあって、本当に盛りだくさん。公式関連本も多すぎるし。混乱。

そもそも町全体に点在する作品を全部回るのがハード。

わたしは心身共に使い果たし、帰国後の今、風邪ひいてます。。鼻ズルズル。

 

ここでは、そんな混乱のなかでも印象深かった作品を少し紹介したいと思います。 

ひとつは、モナ・ハトゥム (Mona Hautom)の 「Fix it」。

メイン会場のフリデリチアヌム美術館には、アテネにあるギリシャの国立現代美術館(通帳EMST)に収蔵されている作品を展示していて、これもそのひとつ。

樽やドラム缶やロッカー、あと棚?みたいなものに電球が取り付けられていて、灯りがついたり消えたりするインスタレーション

 


documenta 14 - [11] Mona Hatoum - Fix it

 

 ここで使われている樽とかロッカーなどはすべて、1983年に倒産したアテネのビール会社「FIX」の工場跡地でモナ・ハトゥムが選んだitたち。そのビールの会社の跡地がいまでは国立現代美術館(EMST)になっているのですが、工業的なものの衰退とそれを再利用してFix it(据える)している作品。

モナ・ハトゥムは10月まで広島で個展が開催中。ヒロシマ賞をとったんですね!行けるといいな〜

 

 

同じくフリデリチアヌム美術館会場からもうひとつ。

Eirene Efstathiou (エイリーン・エフスタシュー?読み方わかんない、、)の「Anniversary」という36枚のリトグラフの作品。

ギリシャは1974年まで軍事政権だったのですが、前年の11月17日に、アテネ工科大学の学生が蜂起し、軍と衝突した事件がありました。

この日はその後ポリテクニオン・デーという"記念日"になって、犠牲者を追悼する大規模なデモが起こり逮捕者もちらほら出るのだそう。

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 Eirene Efstathiou - documenta 14

 

リトグラフの元になっているのは例年のこの記念日のイメージ。

こういうの、写真のドキュメントでなくて、リトグラフでドキュメントされていて、近くに寄ってみてはじめてなにかいざこざが起こってるんだな、とわかる絵もあれば、遠くから見ないとわからないものもあったりして、自然に作品に対して体が(目が)動く感覚に、わたしとポリテクニオン・デーとの距離感を思ったりしました。

  

あと、会場としておもしろかったのはNeue Gallery。

ナチス批判のカラーが明確に現れていた会場でした。

そのなかから、Lorenza Bottnerのドローイングや絵画。

 

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身体のいびつさを美しい尊いものとして見るまなざし。

優生思想への批判的意思を感じます。

 

あと、最後に、一番印象深くて一番胸糞悪かったのはこれ。

詳しくはググってほしいのですが(放棄)佐川一政という白人の人肉を食べた日本人のドキュメンタリー。

 

Véréna Paravel and Lucien Castaing-Taylor - documenta 14

 

まんがサガワさん

まんがサガワさん

 

 

 佐川が人肉を食した事件を元にした漫画を、佐川と一緒に読むというもの。あと、ご兄弟との佐川の生活の様子。焦点が合わない目のクローズアップでこっちも焦点が合わなくなる、みたいなゆるやかな二部構成の映像作品。

 アジア人が白人を食べることの象徴性とか、食べられたい-食べたいという欲求が異常とうつる人間社会の抑圧と、その欲をどうすればいいのか?とか、いろいろ感じましたが、

これを見ている間はなにより、もしわたしが日本人だってバレたら一緒に鑑賞していた白人に殺されるんじゃないかと思ったし、佐川を「同じ日本人として」恥ずかしいとか思っているうちに、国籍で他人と自分をまとめて恥と感じる感性みたいなものがすごく日本人的なのかなとか思ったりして、結局自分が恥ずかしくなったり。。。とにかく感情の振れ幅がめちゃくちゃになる作品でした。

 

 

と、ここでは全然紹介しきれてないけど、消化不良どころか過食嘔吐しそうなくらいの作品数。

ひとつひとつの作品からドクメンタの全体像を見出すのが難しいくらいにバラエティに富みすぎです。

 

さて、このバラエティ富過ぎ問題について(?)今回のキュレーターのアダム・シムジックは美術手帖のインタビューでこんなことを言ってます。

「アート・プロジェクトは絶対的な一貫性を持ち、予測・報告・説明が可能なものである、という考え方を好みません。そのように展覧会を作ることには意味がないのです。『我々はすべてを自覚しているわけではない』ことを理解するために自由に関連性を作っていくべきなのです。 」

美術手帖 2017年7月号 アダム・シムジック インタビューより

 

つまり、彼もこのバラエティを回収するつもりはないんですね。むしろ、回収の逆のベクトルで展開していくことに目的があるみたい。

 

普通、美術館で見られる展覧会はなんらかのテーマに対応する作品を集めて、ひとつのメッセージに回収して伝えることが多いわけですが、このドクメンタは、そういう安心できる美術の場所ではありません。地域礼賛イェーーーーー!!型の日本の芸術祭とも違います。

 

強いて言うなら、ここで紹介した作品に共通するのは「ドキュメント」であること。

紹介できませんでしたが、世界がいま直面する問題をドキュメントするタイプの作品は多かったと感じます。ドクメンタだもんね。

 

知らないことを知ることは決して安楽ではないけど、アートのシリアスかつ重要なエッセンスの部分をドクメンタは担っているのです。

 

と、するとドクメンタは現代に、世界が直面する問題の枝を広げるブレーン・ストーミングの具現化みたいなものかも?

 

 例えばメインの広場のマルタ・ミヌヒンによる「本のパルテノン」は、今年のテーマとドクメンタの歴史を集約した作品だから、これがブレストの中心にあると考えるとすごく枝が生やしやすい中心ですよね。

 

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(禁書が焼かれた(梵書)歴史を持っている広場、アテネの民主主義を代表する建物、「禁書」から考えられる進歩と後退など・・・多分あともっとたくさんの歴史や物語)

 

ここを中心にブレストの枝を伸ばして問いを立て、生えた枝からまた問いを立て、新しい枝が増えていく感じ。

芸術祭そのものの印象は散漫になりがちだけど、アダム・シムジックの意図としては、それこそがリアリティーであり、この形もまた現代のドキュメント(ドクメンタ)なのかなと思いました。

 

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そうすると、このMAPの形のメインビジュアル(いたるところで看板に使われているデザイン)もブレストっぽく見えてきたり。。。して。。。?する、、、かな。。。?どうかな・・・。

 

さいごに。

「本のパルテノン」のすぐ横にあるメイン会場「フリデリチアヌム美術館」いつもは、こんな感じ。

 

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 立派です。

 

しかし、このドクメンタの期間中はなんと、美術館の大事な表札を変えてドクメンタ14のメッセージを発信しています。

 

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「BEING SAFE IS SCARY 」重い!!!!!

 

この言葉、なんとなく、「敵対と関係性の美学」を思い出します。

yzgz.hatenablog.com

 

自分(たち)以外の他者がいない(他者を認識しない)SAFEな閉じた状況から出て、いま・この世界がSAFEでない、と認識することを求められているのかもしれません。

  

いま世界が(他者が)抱える問題を他人事じゃないようにすることが、このドクメンタが提供してくれる経験であり、アートが担っていくべき(と彼らが考える)役割、守られていくべき権利なのですね。

 

 もう今月の17日に終わるから、ぜひ見て!とは言いにくいけど、ドクメンタ14はわたしの2017年を人生の中で意義深い年にしてくれる経験になったとおもいます。

 

超長くなっちゃったーー。。最後まで読んでくれてありがとうございます。

ドクメンタのこと、まだまだ考えたりませんね!

ではまた!!!