おとといまでの私にわからせるためのブログ

写真のことと、美術のこと、あと好きなことについて。私にわかるように書いてます

インターネットのある世界を生きるわたしたちと、自由についての物語-「ハロー・ワールド」展について

こんにちは!

今日は、水戸芸術館の「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて」展について。

もう展覧会も終わってしまうので(5月6日終了)ほとんど自分にわからせるためにですが。。書いておきます。。。。

 

わたし、この1月に運転免許を取得し、今回この展示を見に行くために初心者マークを携えて、はじめての長距離ドライブをぶっ飛ばしてきました。

何度かの臨死体験を経て、渾身のハロー・ワールド。

生きててよかったです。

 

さて、展覧会タイトルの「ハロー・ワールド」は、コンピューターなどのプログラミングが正しく運用されているか確かめるために用いられる最初のチュートリアルなんだそう。

Hello world - Wikipedia

試しにお手持ちのsiriに「ハロー・ワールド」と話しかけると、彼(or彼女)がその最初のチュートリアルのプログラム言語で答えてくれます。

知能をもった機械と世界の出会い、なんかわくわくしちゃうよね!

 

今回のブログのタイトルは

「インターネットのある世界を生きるわたしたちと、自由についての物語」とつけました。

これは、わたしがこの「ハロー・ワールド」展を「自由」をめぐる物語のようだなと感じたからです。

 

今回の展覧会は8組のアーティストによって構成されていて、展覧会を進むに連れて、わたしたちがインターネットによって得る自由や希望が、インターネットによる支配や自由の搾取にだんだんと移り変わっていったような感じがします。

 

はじめは、セシル・B・エヴァンス《溢れだした》という、ペッパーくんやアイボなどのロボットを使った演劇的なインスタレーション

「リバティー」の名前を持つ超人気者・スーパーインフルエンサーのAIのyoutuberの死の噂が流れて、ファンであるペッパー君たちが右往左往する、というストーリーです。

このストーリーのなかでは実際はリバティーは生きているのですが、単なる噂や憶測によってひとびと(ここではペッパー君)が混乱し、騒ぎになります。この演劇で起こっていることは、実際のわたしたちの世界でも、噂やデマなどの拡散力がインターネットによって格段にあがっていること、そしてそうしたデマなどにわたしたちが振り回されることを示してくれています。

そして、印象深かったのは、この演劇の最後。

スーパー人気者インフルエンサーのリバティーは、「わたしは死んでいない」、「リバティー(自由)は死なない」と宣言し、幕を下ろすのです。

 

そうして、わたしはこの宣言をハロー・ワールド展を貫くひとつのテーマととらえて、この展覧会では、それぞれの作品における自由と支配とのせめぎ合いについて考えることにしました。

 

続く、小林健の写真作品は、GUI(グラフィックユーザーインターフェース)ネイティブの感覚を視覚化した、写真(ツール)を通して世界に「触れる」作品です。

 

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Kenta Cobayash 小林健太

 

わたしたちは、テクノロジーによって世界に触れる自由を持つようになりました。

画面のうえで指を2本合わせたところから広げると画面が拡大される、とか、すでにわたしたちの中にはそういう機械と付き合う感覚がしっかりと染み込んでいます。

この展覧会における小林健太の作品は、わたしたちと世界の間には、テクノロジーがあって、そのテクノロジーによって世界に触れられるようになった感覚、そして、テクノロジーがもたらした新しい自由を提示しているようでした。

 

このように、GUIを自由に操る能力を手にし、個人が発信者になれる場を獲得したことはインターネットが与えた新しい自由のひとつかも。

デヴィッド・ブランディチュートリアル:滅亡に関するビデオの作り方》では、youtubeにアップされているそれらしい既成の動画とTEDのトーク音声を組み合わせて、サクサクと世界滅亡に関するショートムービーを製作する様子が示されています。

ブランディは「こんな感じでいっかなー、ここでこうしまーす、ちょちょいのちょーい」くらいの感じで制作を進めていくのですが、実際に完成した動画に立ち込める危機感(と違和感)とは対照的に、お茶の子さいさい感がすごい。

手早くそれらしい動画を作れること、たくさーんのひとびとにそれを発信することができること…この作品で示されている自由には、少し不穏な雰囲気が立ち込めています。

 

 

このように、ここまではインターネットやテクノロジーが提供してくれた「自由」が描かれてきましたが、ヒト・シュタイエル《他人から身を隠す方法》が転換点となり、展覧会はインターネットとその向こうにいる大きな存在が、わたしたちの自由を脅かす可能性を提示していきます。

 

ヒト・シュタイエルはこの映像作品のなかで、爆撃機がミサイルなどを撃ち落とす際に照準を合わせるためのキャリブレーションターゲットのモチーフ(幾何学模様)を象徴的に繰り返し登場させています。

多分小学生のときに習ったことだった気がしますが、すべての技術は戦争によって発展する、ということを、この作品を見て、そうでしたそうでした、と思い出しました。

この作品では、デジタル技術によってわたしたちの生命が首根っこつかまれてるってことが示されます。

タイトルの通り、こうしたデジタル技術によるターゲットの捕捉から逃れるためには、わたしたちはデジタル技術のなかから消失しなくてはならないのです。

この前の作品までに見られた、テクノロジーの民主化による自由は、ほとんど幻想だったかのように思えてきます。

 

さらに、谷口暁彦の作品では、デジタル技術はわたしたちを民主的に強化してくれる味方ではないと確信せざるをえません。

監視カメラのコントロールができちゃうURLにアクセスできちゃったので、カメラを1カットずつずらしながらパノラマ撮影したちゃったよ、という作品。

監視カメラがいたるところに設置され、そのアクセスが解放されている状態は、誰もがオーウェルの『1984年』のビックブラザーのような存在になれる可能性もひらかれています(=ある意味自由)。

展覧会も後半になりこの作品にたどり着くと、テクノロジーは「支配する側」にとって都合のよい自由を発明し提供したのだ、という気づきとともに、不穏を通り越して、陰惨な気持ちになってきます。

 

続くサイモン・デニーによるブロックチェーンのPR映像では、「ブロックチェーン最高!」「ビットコインまじイケてる!」「これぞインターネットがもたらす民主化!」「国ごとの貨幣に代わる!」「脱・中央集権化!!」ってかんじでブロックチェーンのよいところをこれでもか!!と宣伝しています。

ですが、インターネットの世界においてGoogleに権力・利益・情報が集中しているように、こうしたブロックチェーンの技術も、実際のところはそれを開発し運用するひとびとに利権が集中する「再・中央集権化」に過ぎないことは、目に見えています。

つまり、インターネットは自由を解放し、民主化を促進させる、と思いきや、インターネット以前よりも大きく(かつ透明な)支配勢力を生み出しているのです。。わたしたちの自由、、、どこへ、、、、?

 

最後の展示室は、レイチェル・マクリーンの映像作品《大切なのは中身》です。

まずすでにタイトルが超皮肉っぽいですが、SNSの承認欲求を中心に、インターネットがひとびとや社会を蝕む様子をポップ☆グロ☆に提示しています。

鼻のない黄色い肌をした登場人物の造形は、絵文字の顔によったものなんだろうけど、わたし個人的には夢に出そうなくらい...ニガテ…

最初はキラキラ素敵なインスタ女子!だった主人公は、SNS(や荒らし)に翻弄されてぶくぶく太り、ぼろぼろになっていきます。「大切なのは中身」という言葉が切実ながらも虚しく響きます。。

 

この展覧会を貫くストーリーをなぞるかのような主人公の没落は、わたしたちが展覧会を見始めた時に抱いていた牧歌的なテクノロジーやインターネットへの希望、それらがもたらす自由への期待をサクサクと切り裂いていき、そして気づけばインターネットのある世界を生きるわたしたちの自由については、軽い絶望とともに諦めざるを得ない気分に。

 

この最後の展示室を抜けると、外から日差しが入る心安らぐ空間。

マクリーンの映像でまあまあ疲れて、やっとぬけたぜーと思ってベンチに座ると、暖炉のような揺れる焚き火が。

もちろん焚き火は映像で、エキソニモの作品です。

アメリカ(だったかな)には、テレビを(精神的な)暖炉の代わりにするために、24時間焚き火の映像が流れるチャンネルがあるそう。(そのチャンネルおもしろそう)

さて、エキソニモが作った焚き火の映像ですがよくよく見るとキーボードやマウス、モニターなどを燃やす焚き火の映像なんですね。。。人間の自由と文明の敗北を感じました。。。。終末感。。。

 

さて、ここでこの展覧会は終わりですが、元気を出して展示をもう1周しようとすると、再びペッパーくんが出迎えてくれ、さきほどの焚き火の映像では火葬されているようにも見えた「インターネットのある世界」でわたしたちが持てる「自由」について、「リバティー」ちゃんが不死を宣言し、勇気を与えてくれました!ふぅ、よかった。(また最後までしっかり見ると落ち込むから注意)

 

さて、6日で終わりの展覧会ですが、こんな豪華メンツを一挙に見られる展覧会は二度とないんじゃないかなーと思うので、水戸までデス☆ドライブした甲斐がありました。

 

この展覧会に作品を出しているアーティストはいまのアート・ワールドのトップを走っていたり、新進気鋭としてブイブイ言わせていたり、元祖!デジタル・メディアを使ったアーティスト!だったりと、本当に最重要のひとびとばかりです。

 

水戸芸術館|美術|ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて

 

ぜひ他の展覧会でも「ハロー・ワールド」展の出展アーティストの作品を見る機会があればチェックして見てください!

備忘録でした☆(もっと早めに書く努力します)