おとといまでの私にわからせるためのブログ

写真のことと、美術のこと、あと好きなことについて。私にわかるように書いてます

ダイアン・アーバスと、自尊心の筋トレ。

 

ずっと前から好きでフォローしていたライターの長田杏奈(おさ旦那)さん

twitter.com

が今年出された本のタイトルは、『美容は自尊心の筋トレ』と言います。 

美容は自尊心の筋トレ (ele-king books)

美容は自尊心の筋トレ (ele-king books)

 

 この夏、部屋のすぐ手に取れるところに置いて、フレッシュになりたいときに読んでいます。美容本らしくない美容本。おすすめです。

 

「美容は自尊心の筋トレ」。

確か、おさ旦那さんがなにかの雑誌に寄稿していた連載のタイトルもこれだった気がするのですが、数年前にこの言葉を聞いて(実際には「見て」)以来、自尊心を鍛えることが自分のさまざまな悩みの解決につながるのかも?と思い、これをたくましくすることが日々のテーマとなりました。

 

さて、先日、仕事で(写真学科の助手という仕事をしてます)写真家ダイアン・アーバス(Diane Arbus)のオリジナルプリント(本人が撮影し、印画紙に焼き付けたとされる写真※オリジナルプリントの定義に深く立ち入るのはここではやめておきます)を見る機会があり、ふと、彼女の写真と自尊心について考えたので、ここに書いておきます。

 

ダイアン・アーバスという人については、ググったら出てきた上から2つをまず貼っておきます。

ja.wikipedia.org

 

www.artpedia.jp

 

ざっとまとめると、アメリカの写真家で、いまでいうところのLGBTQとか、身体障害者知的障害者などのいわゆるマイノリティ、あとは双子やヌーディストキャンプ、あるいは単に道端で出会った人々など・・・を撮影しています。(彼らは「フリークス」と呼ばれる。)

 

ダイアン・アーバスは、日本では篠山紀信!とかロバート・キャパ!ほどポピュラーではないけれども、写真を勉強していると、そのうち必ず出会う重要な写真家のひとりであることは間違いありません。

ここに彼女が撮影した作品のなかから、代表的なものを数枚紹介します。

 

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なんでこの写真が写真史において重要だとされているかというと、様々に理由はありますが、「同じ人間のいるところでありながら未開だった領域」に踏み込んだたくましさと、そして、その画(え)がマジ強え。ということではないでしょうか。

強え、っていうとちょっとあほっぽいけど(でも写真はある意味こういう、ちょっとヤンキーっぽい、やべぇ、強え、的感性に支えられているジャンルという気がする)。

 

他の写真家の作品にもマイノリティの人々を撮影した写真はたくさんあるけど、後にも先にもこの瞬間しかなかったんだと思える奇跡のような表情(めっちゃ感情的でもなく、劇的ってわけでもない)を切り取っていること、これが彼女の写真の特徴だと思います。 

で、彼女自身はというと、

 

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こんなかんじの女性。ちょっと傾けた首がかわいらしいけどちょっとダウナー。

彼女自身のストーリーは「毛皮のポートレイト」という映画にもなっていますが、わたしは見てません(レビューを見てちょっと警戒してる)。伝記(なの?あれは)も読んでません。

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さて、上記のwikiのリンクを読んでもらった人にはお分かりでしょうが、彼女は48歳で自ら命を絶っています。このことが、彼女をより一層、謎めいた伝説的な写真家にしています。

彼女の撮影の方法については、意地悪だとか、冷徹だとか、シュールなどと言われることが多く、さらに被写体に彼女が向けたまなざしと、被写体から彼女に向けられたまなざしの生々しさについてもよく語られています。

あと、「フリークス」を撮るという行為は、同時に(架空の)境界の向こう側に踏み込もうとする行為であって、その試みによって心を病んだ、とかもよく聞く話。(少なくともわたしはそんな風に習った。)

ユリイカ 1993年 10月 特集 ※ ダイアン・アーバス 聖なるフリークス●徹底討論 荒木 経惟 / 伊藤 俊治

ユリイカ 1993年 10月 特集 ※ ダイアン・アーバス 聖なるフリークス●徹底討論 荒木 経惟 / 伊藤 俊治

 

とはいえ、彼女は「フリークス」だけを撮っているわけではなかったので、こうした彼女への理解についてはやや疑問を持ちつつも、彼女の写真が好きでした。
 

でも、ある日、彼女のオリジナルプリントを見ていて、おさ旦那さんの、「美容は自尊心の筋トレ」という言葉と写真が、わたしのなかで、若干アクロバティックではありますがピピーンとつながって、彼女の写真は「こちら-あちら」みたいなことではないんじゃないか、という気がしました。

つまり、彼女の写真において一貫しているテーマはもしかして「自尊心」だったんじゃないか?ということ。

 

彼女が撮影する被写体の姿には、自尊心がビンビンにみなぎっているように、わたしには見えるのです。

それは、「ひこうき雲」でユーミンが歌ったみたいな「他の人にはわからない」孤高の自尊心。

この写真で被写体に向けられた目線を「意地悪だ」というのは【彼らのようなひとたちが自己を肯定して生きているということをさげすむ視点】なのではないかという気さえしてくる。アーバスの写真の被写体はみんな、誰かに認められるかどうかではなく、ただ、彼ら自身の世界で自己を肯定している。

そこに、こっちとか、あっちとかはないし、境界線を引くという差別に彼女が加担したとも考えにくい。

 

つまり、彼女は彼らへの憧れ(というとややヘルシーすぎるかもしれないけど)を持って彼らを撮影していたんじゃないかなと思ったのです。

真に自らを、そして生を、尊いと思う心を、彼女は被写体に見出していたのではないかと。

 

となると、ダイアン・アーバスが写真を通して行っていたのはまさに「自尊心の筋トレ」?・・という気もしてくるわけですが、そのときこの「自尊心」というやつは非常に厄介です。

 

わたしも自尊心向上をテーマに戦っていると書いたように、自尊心を鍛えるのって、ある種類の人間にとってはめちゃ難しい。

自分がいつも不完全で、あらゆる役割において「失格」で、無価値に思えちゃうような心の風邪は、いつも自尊心が弱ったところにウイルスが入り込むことによって誰でもかかりうるもの。ときにその風邪が重篤な病になっちゃうことだってある。

つまり非常にセンシティブな部位であって、だからこそ、そこを鍛えるトレーニングが必要なんだろうけど、彼女の精神にとっては、トレーニング方法がややハードすぎたのかもしれないなって思います。

仕事の問題に加えて、家庭の問題なども抱えていたようだし...その環境が彼女にとっていかに過酷だったかは、今となっては知ることができないけど。

輝くような自尊心を前に、自分という存在を尊く思えない。

写真を通して自尊心の高低を行き来していれば、気圧で精神がめちゃくちゃになりそうです。

 

彼女が生きた時代におさ旦那さんの本はなかったし、いまより様々なレベルで「こうあるべき」という要求は、女性にも男性にも突きつけられていたのではないかと思う。

とはいえ、いまも、『美容は自尊心の筋トレ』のなかに書かれるような、自尊心の危機は、社会に、特に女性に根強く蔓延しています。

 

でも、ダイアン・アーバスの写真が自尊心とつながったいま、自分をかけがえない存在だと思うトレーニングが、彼女の写真を通してできるようになった気がする。わたしは、ですけど。。。まだまだわたしにとってもめちゃ難しいですけど。。。。

 

ダイアン・アーバスの写真集で、わたしが持ってるのは多分これ。

Diane Arbus: An Aperture Monograph: Fortieth-Anniversary Edition

Diane Arbus: An Aperture Monograph: Fortieth-Anniversary Edition

  • 作者: Diane Arbus,Doon Arbus,Marvin Israel
  • 出版社/メーカー: Aperture
  • 発売日: 2012/09/30
  • メディア: ペーパーバック
  • 購入: 1人 クリック: 1回
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 4000円しないくらいで、写真集のなかだと比較的お安く買えると思うので、写真に興味があるけどなにから手を出せばいいかわかんないっていう人にもおすすめです!

 

ではまた!